仙台の人と街を応援する企業家組合


by crosby2
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昔のサムライの話と、その後サムライ達

伊達政宗の野望とともにイスパニアへ渡った 「慶長遣欧使節団」。
彼らの子孫が今、スペインに
イスパニアへ渡ったサムライたち より

イスパニアとの通商で奥州を独立国家に
仙台藩とイスパニアの間に通商関係を結ぶため、奔走する支倉の姿は非常に印象的。しかし、遣いを出した政宗の真意は、別のところにあったとも言われている。
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政宗という人は、当時の大名の中でも、とりわけ世界的な視野、野望を持ってものを考える人でした。イスパニアと通商を結ぶ裏には、そのことによってイスパニアを味方に付け、倒幕とはいかないまでも、奥州を徳川幕府の力が及ばない独立国家にしたいという考えがあった。
─政宗のそうした動きに対し、幕府は何も手を打たなかったのか?
家康も幕府の重臣達も、政宗が好き勝手にヨーロッパで外交交渉するのを見過ごすはずがなく支倉使節の中に幕府の隠密を送り込み、情報収集はもちろんのこと、最終的には通商締結の阻止を目論んでいたようです。当時の資料を調べていると、使節団の中に正体不明の怪しげな人物が2人ほどいる。おそらく彼らが隠密ではないかと…。
─さすが家康。
しかし実は、家康も政宗より前に、イスパニアと通商に関する書状のやりとりをしていたんです。イスパニアの持っている銀の製錬技術を手に入れることが目的だったようですが、結局は、イスパニア側の条件である「日本国内でのキリスト教布教の保護」という条件が受け入れられず、交渉は成立しませんでした。
そう考えると、支倉使節の任務の重さというのは相当なものだった。
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キリスト教禁圧で封印された支倉使節団の存在
使節団一行は、当初、イスパニアでは大変な歓迎を受けた。
彼らは道中、各地で有力な貴族などから手厚い歓待を受けています。
また、支倉は現地でキリスト教の洗礼を受けたんですが、その際、イスパニア国王、総理大臣を始め、名だたる政治家、聖職者達が洗礼式に顔を連ねているのです。これは極めて稀なケースで、他国の使節団にそのような待遇をした例はありません。
国を挙げての歓迎で日本をそこまで重視していたとは驚きです。
当時、日本は「黄金の島」と呼ばれ、各国が通商を望むほどの国でした。その上、イスパニアは、日本国内でキリスト教の布教をしたかったという思惑がそうさせていたようです。実際には、すでに幕府がキリスト教弾圧を始めていたので厳しい環境になっており、当初、イスパニア側としては、支倉使節を歓待しておけば、そういう事情も好転するのでは、という期待感があったのだと思います。また、支倉常長が非常に人間的な魅力に溢れた人物であったということも伝えられており、彼の人望もあったんだと思います。
いずれにせよ、政教一体の国家ですから、国を挙げての大歓迎となったわけです。
しかし、次第に使節団に対し冷たくなっていった。
幕府のキリスト教全面禁止を始め、キリスト教布教事情がさらに厳しくなっているという日本の情報がイスパニアに入ってくるにつれ、熱は冷めていきました。さらに、「日本は黄金の島ではない」ということも分り、結局、通商交渉では色よい返事がもらえず、使節団は失意のうちに帰国せざるを得なくなったのです。
しかも帰国した時には、国内情勢がすっかり様変りでしたから、彼らにとっては辛かったでしょう。不幸な結果となってしまいましたがキリスト教弾圧の時代、洗礼を受けたなど以ての外。政宗ですらも、この件については、藩の記録の中に無難な事実だけを最小限に書きとどめているに過ぎません。苦労が報われることもなく、そうした事実は半ば封印されてしまった。
ですから、支倉らの存在については、なんと明治6年まで歴史から抹殺されていたのです。岩倉具視が欧米視察でイタリアに行った際、支倉の署名が入った文書を見たことから、彼らの存在が改めて脚光を浴び、ようやく日本の歴史の日の当る場所に出てくるようになったのです。
不思議なのは、当初イスパニアとの通商を望んでいた家康が、なぜキリスト教布教という条件を受け入れず、後に、布教禁止・弾圧に踏み切ったのか…。
政教一体、当時のイスパニアは、各地へ宣教師を送り込み、布教の傍ら彼らにその地の情報を収集・報告させていたのです。そして最終的には、そうした情報をもとに兵力を送り込んで征服する。中南米20か国以上あった植民地は、皆そのやり口によるものでした。
もちろん国策としてのことでしょうけれど、まさに「スパイ活動」ですね。
日本に来ていた宣教師フランシスコ・ザビエルも、そういう役割を担っていました。日本各地の港の水深や、各藩が保有している大砲の数、兵力等について、詳細に報告していたことが分っています。家康ほどの人物ですから、それを見抜き、危険を察知していたのでしょう。それがキリスト教を禁じた大きな要因となったようです。
「黄金の島」と言われていたほどでしたから、喉から手が出るほど日本を手に入れかった。

602名の「ハポン」姓と地域に伝わる稲作技術
使節団の中には、日本に戻らなかったメンバーもいたようです。
8名いたと思われます。26人中、8人もいた。
残留したメンバーは二つのタイプに大別されます。一つは、天真爛漫なイスパニアの現地の人々と風土に惹かれてしまい、帰りたくなくなった人達、もう一つは、すでに日本で受洗していたキリシタンで、最初から帰るつもりはなかった人達です。
──その子孫、末裔と言われる人達が現在、スペインに相当数いる。
スペイン南部の町コリア・デル・リオと、その隣のラ・プエブラ・デル・リオには「ハポン」という姓を持つ人が602名います。「ハポン」とはスペイン語で「日本」を意味する言葉なんですが、彼らは皆、自分たちは日本から来た侍の子孫だと言っている。
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ハポン姓の人達。彼らは、使節団の末裔と信じているという
──名前だけでは今ひとつ説得性に欠けますが、さらに強力な証拠となるものを見付けられた…。驚いたのは、稲作。一般に、ヨーロッパの稲作は籾(もみ)を直にばらまくやり方なんですが、この地域では稲作をする際、日本と同じように苗床をつくる風習があるんです。これはスペインはおろか、ヨーロッパのどの地域でも見られない方法です。

ハポン姓の人々が住む田舎町には、日本の田園風景を思わせる水田が広がる
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──使節団の残留者が教えたとしか思えない。
12世紀に、この土地の農学者イブン・アワムという人が書いた有名な『古農書』があるんですが、すでに稲作がオリエント世界から伝わっていた時期にも関わらず、その書にはこの辺り一帯で米が栽培されていたという記録が載っていない。おそらく17世紀に、残った「ハポン」達が何らかの形で日本式の米の栽培技術を伝え、あの地に水田を広めたのではないかと考えられます。
さらにもう一つ、地元の医者によると、ハポン姓の赤ちゃんには、蒙古斑があるというんです。
ここまで材料がそろうと、もはや疑う余地はなさそうである。



出典 太田尚樹 著『ヨーロッパに消えたサムライたち』(筑摩書房)より


余談
大きな歴史のうねりの中で、1600年前後の日本と、幕末から明治に掛けての日本は
そんな大陸や列強の不穏な思惑からいち早くその密命や企みとを察知し、属国と成らずに済んだのは、その折々の政治 当事者達の卓越した先見性と政治力、視野の広さや情報収集能力が卓越していた事の証拠である。
宗教や医学、貿易や先端技術を隠れ蓑に行われるスパイ活動は洋の東西、今昔に寄らず変わらない。1500年ごろから今まで、政治多体制が弱い国はその後どうなったかは歴史に詳しい。
歴史は繰り返すのです。
日本が唯一占領され統治されていた1945年からサンフランシスコ講和条約締結までの数年間で、象徴天皇の誕生、日本国憲法制定発布、財閥解体 農地解放、東京裁判 軍隊の廃止 陸海空の軍備の廃棄、 警察予備隊(後の自衛隊)が組織された。米軍はその間 占領し進駐した。
現在は日米安全保障条約のもと在日米軍として駐留している。
その間、日本の政治家は戦乱の世 幕末明治維新の世と並び良く働いたのではないか。
64年間戦争は無く、100年に一度の世界大恐慌にも失業者は増えども餓死者は出ず、
甘い官僚組織(ハニートラップに易々と引っかかる/旨い話に乗り売国の徒となる)
とはいえ霞ヶ関も、そして地方自治もがんばったのだ。と私は想う。
ましてや戦災で廃墟と化した中から復興した我々の父母や市井の民はがんばった。
戦後、圧倒的に優位に立つ戦勝国や独立国が日本を凌駕しても決して可笑しくは無い中でだ。

愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶと言う
往事の当事者達の先見性と政治力、視野の広さや情報収集能力が卓越していた事を
今一度再確認して行く必要があろう。
国としての ”てい” をなす国 日本。
情報収集脳力とその活用 後ろ盾(イージス)がある物言う外交
教育整備と人材育成 中福祉中負担の社会保障制度
盤石な経済基盤と税収国家財政に裏打ちされたそれらの体制 
全てに置いて完全ではないし不満だらけではある。
がしかし、曲がりなりにもそれらが揃う国は他に無い。
本当は幸せな国 なのだと私は想う。 
そこに至には、政治が揺るがず、くに を維持して来たからに他ならない。
サムライJAPANはイチロー !! だけではなく この国には確実に居る。samurai が
先人達に想いを馳せ、明るい未来を夢見たい、そう思う今日この頃である。
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by crosby2 | 2009-04-22 00:00 | 散文