仙台の人と街を応援する企業家組合


by crosby2
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仙台のジャズ

仙台にはどうしてジャズが根付いて行ったのか?ミュージシャンが多く居たのか?
仙台の街や、風俗とともに音楽シーン、ミュージシャンはどんな経緯をたどって来たかの考察。

仙台の今は学都
国立大学1校 公立大学2校
私立大学 周辺校も入れると11校
専門学校と来たら数多ある。
ちなみに総務省のデータによると、、、、

若さ全国トップ 活気あふれる仙台
仙台は平均年齢38.4歳と、堂々全国1位の若さです。若年層の割合が非常に多いようです。そういえば、若い人向けのお店がとっても多い!
でも、平均寿命は全国が男子3位、女子が2位と、年配の方が少ないというわけではないようです。

学都仙台 ~仙台は学生がとっても多い!?~
『学都仙台』の名の通り、仙台には大学生、短大生、そして専門学校生をあわせると8万人を超える学生がおり、この数は全国にもとても多く、平均年齢が若くなるのも納得!

緑あふれる、住みやすい街 仙台
100万都市でありながら「杜の都」と呼ばれるほど、街なかは緑にあふれ、澄んだ水を蓄えた広瀬川が街中に潤いを与えています。1位京都、2位静岡につぐ堂々の3位です!
「うるおう杜」仙台。やっぱり、住むなら仙台ですね。

そう、今の仙台は学生と若者の街。
しかし、その昔は、軍都!
軍人さんがとても多かった。第二師団 四連隊 陸軍地方幼年学校
戦後は駐留軍(進駐軍)が大勢居た。
青葉城周辺(旧第二師団)榴岡公園(旧四連隊 陸軍地方幼年学校跡) 
苦竹(現自衛隊東北方面隊)多賀城自衛隊(旧弾薬庫)
自衛隊のあとには警察など。現在も防衛施設局や警察関係が多い。
軍人が多数居て、駐留した時代が随分と続いていた。
それらに伴う官僚や役人、商人に荷受けに運搬事業、そしてその家族。
計り知れない数である。それらに支えられた商店、花柳界、それに、地回りに労役や風俗に関る江戸時代から続く街衆が営々と営業していた訳だ。

そこには風俗としての音楽(戦前の音楽)と(戦後のJazz)があった。
旧日本軍の軍隊を支える花柳界や、風紀の抑制や対処の為の花街や遊郭とともに。
進駐軍には各営巣ごとに階級制の酒場が設けられ、その階級ごとの酒場には各階級ごとのクラブ毎にバンドを雇っていた訳だ。仙台にはそんなクラブが沢山あった訳。
そこから育ったジャズシンガーやバンドマンがわんさか居た。
有名になった人も多いし東京や全国区で活躍した方々も大勢居た。
東京ユニオンのバンドマスターの高橋達也さん。
フランク永井さんや多くのミュージシャン達。
進駐軍相手のキャバレーやクラブや伴う施設が戦後早くからあった訳で、そんなミュージシャンは掛け持ちをしていた。
進駐軍が去るとミュージシャンは野に放たれる。第1回目の放出

バンドマンを抱えていた店の一例 昭和20年代から昭和50年代
蘇州
ニュージャパン
タイガー
クラウン
チャイナタウン
ナイター
花馬車
レディータウン
天国
以上キャバレー

カントリークラブ
川政クラブ
アネックス
オロオロ
サロンドたわらや
バー俵屋
クラブ太田
ソワレドパリ
カルダン
クラブ潤
以上グランドクラブ

その他
ジャンボミカド
純情
未亡人クラブ

ダンスクラブ
ラブラブ

その後は
クインビー
ロンドン
カーニバル
という様なチェーン展開したクラブやキャバレー、ミニクラブがバンドを抱えた。

仙台にはその他にトリオやバンドを擁して毎日演奏をしていたレストラン、メインダイニングのあったホテルが数多かった。一例 昭和20年代〜昭和60年代まで
仙台ホテル 5階メインダイニング兼メインバー フォンテーンヌブロー
ホテル仙台プラザ 15階メインダイニング メイプル
東急ホテル 地下1階 メインバー 名前が思い出せません!
ターミナルホテル(現ホテルメトロポリタン)15階 ベルシャポー
国際ホテル 1階メインバー ロイヤルアスコット
ワシントンホテル ガスライト
宮城第一ホテル 最上階 メインレストラン
JALCITY 最上階 メインダイニング  J-ラウンジ
みんなバンドが入っていた。

キャバレーやクラブには有に及ばずバンドを雇う店は何処も大繁盛した。
1つのキャバレーでビッグバンドにチェンジバンドでコンボバンドという風に
2バンドを雇う店は当たり前にあった。
流行り廃りはあっても何処も盛況だったし、多くキャバレーはタンゴバンドにハワイヤンバンド、ブルーグラスにロカビリー、GSブームにムードコーラスブームと多くのバンドはその形態を変え乍ら進化して行った。雇う方も多くのアプリケーションを抱えた方が大儲け出来た時代だ。だから全盛期は何処も3バンドぐらいは雇っていた。
その他にダンスホールが隆盛を極めた。そこも2バンド編成。
だいたいの編成人数は以下の通り

ビッグバンド
サックス5人
トランペット4人
トロンボーン4人
3リズム
ピアノ1人
ベース1人
ドラム1人
ギター1人〜2人
15人から18人の編成

ビッグコンボバンド7人から10人
コンボバンドが4人から5人
タンゴバンド5人くらい
ハワイアンバンド5人から8人
ロカビリーバンド4人から8人
カントリーバンド4人から8人
そんな編成のバンドが2バンド以上であり、そんなグランドキャバレーが10件程あった。
グランドクラブもあり小さいクラブやバーパブ等、多くがバドを雇い、商売が成り立っていた。
だから、1つの店で15人から多くは30人ほどいたバンドマン。掛ける事の10件で約300人以上のプロがそこには存在した。
そして昭和の時代が幕を閉じようとしていた時代にキャバレーの時代が去り
そして仙台はゼネコン汚職を経て 官吏と軍と商人とゼネコンとに見放された
料亭とキャバレー、高級クラブが姿を消した。接待と風習とともに。
忘れてはならない視点は、支店経済の都市という一面。現在も続くその構図は変わらない。しかし、かつての様な接待だか自己接待だかの裏金やキープは今は昔、官官接待だかのような湯水のごとく使えた時代ではないし、ゼネコンもあれ以来息を潜めて居るし、ましてや薬価基準が大幅に見直されたい今、製薬会社も丸抱え的な接待は無いに等しい。市民オンブズマンも仙台が日本の発祥だ。

かくして、そんな経緯からバンドマンの第2の放出があった。
♪料亭での接待の基本である芸者さんもしかり。料亭が姿を消して芸者さんはかつての旦那さん、お大尽が居ない中、踏ん張っている。♪この話はまた別の話、、、、

フランス革命後のフランスには宮廷料理人が沢山下野したことで現在の様なフランス料理が開花し文化として根付いて今に至る歴史を見る様に、仙台もミュージシャンの2回の放出による下野があった訳である。
かくして、そのミュージシャン達は今、定禅寺ストリートジャズフェスティバルや各イベント、様々な音楽シーンで玄人はだしの、素人面した上手いミュージシャンに遭遇するに至る。

約300人居たプロのミュージシャン達。
30年以上前、平均的なサラリーマンの収入の4倍〜10倍の収入を得ていた人も数多い。
だが、、、今は。

しかし暗い話題だけではない。最近、一時期激減したジャズクラブが駅東口と南町通り、一番丁に2〜3件出来た。
頼もしいj限りである。

今日の所は以上
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by crosby2 | 2008-02-26 06:48 | 散文