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仙台の人と街を応援する企業家組合


by crosby2
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曲目:アラバマの星
sax:nayuki sachiyo
perc:namekata motoaki
piano:ohmura takeshi
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by crosby2 | 2008-02-29 11:21 | 音源♪

曲目:ナイトアンドデイ
sax:nayuki sachiyo
prec:namekata motoaki
key:ohmura takeshi
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by crosby2 | 2008-02-28 01:21 | 音源♪

曲目:ナウザタイム
sax:nayuki sachiyo
perc:namekata motoaki
piano:ohmura takeshi
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by crosby2 | 2008-02-27 01:07 | 音源♪

仙台のジャズ

仙台にはどうしてジャズが根付いて行ったのか?ミュージシャンが多く居たのか?
仙台の街や、風俗とともに音楽シーン、ミュージシャンはどんな経緯をたどって来たかの考察。

仙台の今は学都
国立大学1校 公立大学2校
私立大学 周辺校も入れると11校
専門学校と来たら数多ある。
ちなみに総務省のデータによると、、、、

若さ全国トップ 活気あふれる仙台
仙台は平均年齢38.4歳と、堂々全国1位の若さです。若年層の割合が非常に多いようです。そういえば、若い人向けのお店がとっても多い!
でも、平均寿命は全国が男子3位、女子が2位と、年配の方が少ないというわけではないようです。

学都仙台 ~仙台は学生がとっても多い!?~
『学都仙台』の名の通り、仙台には大学生、短大生、そして専門学校生をあわせると8万人を超える学生がおり、この数は全国にもとても多く、平均年齢が若くなるのも納得!

緑あふれる、住みやすい街 仙台
100万都市でありながら「杜の都」と呼ばれるほど、街なかは緑にあふれ、澄んだ水を蓄えた広瀬川が街中に潤いを与えています。1位京都、2位静岡につぐ堂々の3位です!
「うるおう杜」仙台。やっぱり、住むなら仙台ですね。

そう、今の仙台は学生と若者の街。
しかし、その昔は、軍都!
軍人さんがとても多かった。第二師団 四連隊 陸軍地方幼年学校
戦後は駐留軍(進駐軍)が大勢居た。
青葉城周辺(旧第二師団)榴岡公園(旧四連隊 陸軍地方幼年学校跡) 
苦竹(現自衛隊東北方面隊)多賀城自衛隊(旧弾薬庫)
自衛隊のあとには警察など。現在も防衛施設局や警察関係が多い。
軍人が多数居て、駐留した時代が随分と続いていた。
それらに伴う官僚や役人、商人に荷受けに運搬事業、そしてその家族。
計り知れない数である。それらに支えられた商店、花柳界、それに、地回りに労役や風俗に関る江戸時代から続く街衆が営々と営業していた訳だ。

そこには風俗としての音楽(戦前の音楽)と(戦後のJazz)があった。
旧日本軍の軍隊を支える花柳界や、風紀の抑制や対処の為の花街や遊郭とともに。
進駐軍には各営巣ごとに階級制の酒場が設けられ、その階級ごとの酒場には各階級ごとのクラブ毎にバンドを雇っていた訳だ。仙台にはそんなクラブが沢山あった訳。
そこから育ったジャズシンガーやバンドマンがわんさか居た。
有名になった人も多いし東京や全国区で活躍した方々も大勢居た。
東京ユニオンのバンドマスターの高橋達也さん。
フランク永井さんや多くのミュージシャン達。
進駐軍相手のキャバレーやクラブや伴う施設が戦後早くからあった訳で、そんなミュージシャンは掛け持ちをしていた。
進駐軍が去るとミュージシャンは野に放たれる。第1回目の放出

バンドマンを抱えていた店の一例 昭和20年代から昭和50年代
蘇州
ニュージャパン
タイガー
クラウン
チャイナタウン
ナイター
花馬車
レディータウン
天国
以上キャバレー

カントリークラブ
川政クラブ
アネックス
オロオロ
サロンドたわらや
バー俵屋
クラブ太田
ソワレドパリ
カルダン
クラブ潤
以上グランドクラブ

その他
ジャンボミカド
純情
未亡人クラブ

ダンスクラブ
ラブラブ

その後は
クインビー
ロンドン
カーニバル
という様なチェーン展開したクラブやキャバレー、ミニクラブがバンドを抱えた。

仙台にはその他にトリオやバンドを擁して毎日演奏をしていたレストラン、メインダイニングのあったホテルが数多かった。一例 昭和20年代〜昭和60年代まで
仙台ホテル 5階メインダイニング兼メインバー フォンテーンヌブロー
ホテル仙台プラザ 15階メインダイニング メイプル
東急ホテル 地下1階 メインバー 名前が思い出せません!
ターミナルホテル(現ホテルメトロポリタン)15階 ベルシャポー
国際ホテル 1階メインバー ロイヤルアスコット
ワシントンホテル ガスライト
宮城第一ホテル 最上階 メインレストラン
JALCITY 最上階 メインダイニング  J-ラウンジ
みんなバンドが入っていた。

キャバレーやクラブには有に及ばずバンドを雇う店は何処も大繁盛した。
1つのキャバレーでビッグバンドにチェンジバンドでコンボバンドという風に
2バンドを雇う店は当たり前にあった。
流行り廃りはあっても何処も盛況だったし、多くキャバレーはタンゴバンドにハワイヤンバンド、ブルーグラスにロカビリー、GSブームにムードコーラスブームと多くのバンドはその形態を変え乍ら進化して行った。雇う方も多くのアプリケーションを抱えた方が大儲け出来た時代だ。だから全盛期は何処も3バンドぐらいは雇っていた。
その他にダンスホールが隆盛を極めた。そこも2バンド編成。
だいたいの編成人数は以下の通り

ビッグバンド
サックス5人
トランペット4人
トロンボーン4人
3リズム
ピアノ1人
ベース1人
ドラム1人
ギター1人〜2人
15人から18人の編成

ビッグコンボバンド7人から10人
コンボバンドが4人から5人
タンゴバンド5人くらい
ハワイアンバンド5人から8人
ロカビリーバンド4人から8人
カントリーバンド4人から8人
そんな編成のバンドが2バンド以上であり、そんなグランドキャバレーが10件程あった。
グランドクラブもあり小さいクラブやバーパブ等、多くがバドを雇い、商売が成り立っていた。
だから、1つの店で15人から多くは30人ほどいたバンドマン。掛ける事の10件で約300人以上のプロがそこには存在した。
そして昭和の時代が幕を閉じようとしていた時代にキャバレーの時代が去り
そして仙台はゼネコン汚職を経て 官吏と軍と商人とゼネコンとに見放された
料亭とキャバレー、高級クラブが姿を消した。接待と風習とともに。
忘れてはならない視点は、支店経済の都市という一面。現在も続くその構図は変わらない。しかし、かつての様な接待だか自己接待だかの裏金やキープは今は昔、官官接待だかのような湯水のごとく使えた時代ではないし、ゼネコンもあれ以来息を潜めて居るし、ましてや薬価基準が大幅に見直されたい今、製薬会社も丸抱え的な接待は無いに等しい。市民オンブズマンも仙台が日本の発祥だ。

かくして、そんな経緯からバンドマンの第2の放出があった。
♪料亭での接待の基本である芸者さんもしかり。料亭が姿を消して芸者さんはかつての旦那さん、お大尽が居ない中、踏ん張っている。♪この話はまた別の話、、、、

フランス革命後のフランスには宮廷料理人が沢山下野したことで現在の様なフランス料理が開花し文化として根付いて今に至る歴史を見る様に、仙台もミュージシャンの2回の放出による下野があった訳である。
かくして、そのミュージシャン達は今、定禅寺ストリートジャズフェスティバルや各イベント、様々な音楽シーンで玄人はだしの、素人面した上手いミュージシャンに遭遇するに至る。

約300人居たプロのミュージシャン達。
30年以上前、平均的なサラリーマンの収入の4倍〜10倍の収入を得ていた人も数多い。
だが、、、今は。

しかし暗い話題だけではない。最近、一時期激減したジャズクラブが駅東口と南町通り、一番丁に2〜3件出来た。
頼もしいj限りである。

今日の所は以上
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by crosby2 | 2008-02-26 06:48 | 散文

仙台の料亭

かくして料亭は時代に翻弄されたが
しっかり地に根を張り頑張っていてくれる頼もしい素晴らしい料亭が仙台にはある。

つい先日、ご当主と相見えお世話になった。
料理
景色
お茶のお手前
夜景
雰囲気
何一つ文句の言いようが無い素晴らしさ!

仙台向山 東洋館
和服を着て デートでもご法事でも
昼食も大丈夫。茶事も

〒982-0841 仙台市太白区向山一丁目1番16号 
TEL 022-222-7019 FAX 022-222-8933
日曜日定休

100年の歴史が物を言う

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by crosby2 | 2008-02-25 23:58 | 散文

Crosby クロスビーへの道

Google 検索にて
Web検索 又は地図検索にて

英文字にて   ””  sendai  jazz  " "
又は     ”” crosby sendai " "
で検索をしてみて下さい。
詳細が表記されます。

http://www.google.co.jp/

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by crosby2 | 2008-02-24 19:44 | アクセス・地図

Sendai Jazz Crosby Blue Bossa


Sendai Jazz Crosby
Blue Bossa
piano:ohmura takeshi
bass:fukada keigo
sax:hayashi hiroki
perc:namekata motoaki
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by crosby2 | 2008-02-23 19:40 | 音源♪

昔の仙台②

二十人町と宮町

仙台市宮城野区 
藩政時代 伊達家の足軽衆 二十人町衆が住んだ町 二十人町
鉄砲町と並び戦前の街並を色濃く残す町 近くには矢先神社や釈迦堂が点在し
戦前は四連隊 兵舎に陸軍幼年学校 戦後は進駐軍
警察学校に自衛隊 新旧日米の兵隊さんを相手にした商店が点在し
賑やかで華やかな街 伊達の時代、近くの榴岡公園は花見の名所
だった。
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昭和30年代後半の二十人町
私の家だった所も築200年ぐらい経った土蔵作りと鉄の窓枠に
敷地の中には神社が二つ 和装の、芸者さん風の陶器やらお狐さんやら山神社やらがたち
周囲を石垣に囲まれた土壁の古いお屋敷だった

そんな街並は空襲で焼けるでも無く
街並み保存の意識がない人々によって変貌とげ
無くなりつつある。

宮町
古くは東照宮の門前町として栄えた御宮町 
早380余年
西公園(昔の常盤町)にあった公娼が
今の旅籠町(新常盤町)に移り
明治から大正昭和と大門の中の閉ざされた公娼と、周りの私娼街が並ぶ

遊郭街が立ち並び東照宮参りと称した参拝者 観光客や商人が多いに行き交い
華やかな街だった。
昭和33年3月で遊郭の街の灯は消え
郊外へと伸びて行く街と商店の通り道と化し空洞化してゆく

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昭和30年代後半の宮町通り
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by crosby2 | 2008-02-23 00:07 | 写真等

仙台の花街事情

公娼制度は昭和21年にGHQにより廃止され、売春防止法(昭和31年)で根絶された。我が国文献で初めて登場するのは万葉集(うかれめ、遊行女)だそうで、やがて漂流民の自由業から公娼制度に移行し、秀吉の時代は遊郭での営業になる。

仙台は舟丁あたりに小保(おぼ)町という遊客街があり、石名坂には遊女石名之墓も残る。しかし寛文事件以来仙台藩は遊女屋を禁じたので、塩竈や石巻で業がなされた。

明治になり遊女屋の御法度も打ち破られて、国分町を中心に妓楼28軒ほど立つ。川内中ノ瀬の八百屋針生正之助が旅人宿を改造した中正楼がその開祖である。これにより東一番丁や虎屋横町も繁栄した。このころ官軍を客にする「草餅」と呼ばれる散娼もみられた。娼妓の禁止を求める世論を受け明治6年全国に禁令が出るが、業界の請願もあって2ヶ月の閉店の後再開。しかし結局市街地の中心にあるのは好ましくないとして、明治12年に、片平丁支倉寄りで、北一番丁と定禅寺通櫓丁の間に位置する広瀬河畔に遊郭を作って、十年続いた国分町の妓楼を移転集中させることとし、常盤町と称した。現在の市民会館付近だろうか。

しかし川向かいの川内兵営の士気に影響するとの軍の威圧を受けて、明治27年に小田原(蜂屋敷跡で八重垣と称した場所)に移り、常盤丁と称する(広瀬河畔の従来の遊郭は元常盤町と改称)。維新後さびれていた宮町はにわかに活気づき、日清日露の戦後好況に際には弦歌の賑わいだったという(戦後に旅籠町と改称)。新常盤町遊郭には、業者三十数軒、娼妓三百人程度があった。

旅籠町町内会があるし、また旅籠町公園などの名にも残っているようだ。

■参考 田村昭『仙台花街繁昌記』宝文堂、1974年

なおこの本は家庭の貧困から前借金で過酷な労働環境に身を置いた女性の観点など、仙台の庶民生活史として、資料を収集して後世に伝え残そうとした、田村氏の労作だ。背景にある貧困や賤業の差別観もそうだが、仙台の繁華街の賑わいや七夕祭りなども花街の繁昌と関わりが深い。時代の事実を知ることが基本だ。私は主に仙台の街づくりの観点から「常盤町」の位置に関心を持って本を手にしたのだが、仙台のつい最近の歴史に思いを馳せずにはいられない。
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by crosby2 | 2008-02-22 21:17 | 散文

小種

仙台 事始め
仙台発祥の物は数多い。
以下は第一弾
①フィギアスケート発祥の地(日本初)
http://homepage2.nifty.com/Gang/dodensuta-figyua.htm
②水力発電発祥の地(日本初)
http://blog.livedoor.jp/degdate/
③光ファイバー発祥の地(世界初)
http://wwata.hp.infoseek.co.jp/006.htm
④冷やし中華発祥の地(世界初w)
http://www.ryutei.com/history.html

他に有名なのは
炉端焼き 炉ばた 
天賞酒造のアンテナショップとして東京へ出店したのが初め
仙台にも虎横に黒塀の情緒ある建物があった。
天江富やさんが始めた。
現在も稲荷小路にある。

牛タン焼き
言わずもがな 太助の先先代が始めたのはつとに有名。

ウイスキーのボトル売り
ショット売りが常識の世界で大手の酒造、酒販売メーカーがしのぎを削る中
仙台でウイスキーボトル売りが始まり売り上げが急上昇
仙台方式が確率(ビルのオーナーと酒屋さんと店子の互いに保証し合う契約の方法)
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by crosby2 | 2008-02-22 20:50 | 散文