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by crosby2
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麻生首相が

麻生首相がメドベージェフ大統領と南樺太で会談したと
小さな記事が出ていたのだが、これは由々しき事態

ロシアは言われ無き主権を主張し樺太と千島列島 北方四島を不法に占拠し主権を主張している
実態は我が国の国益にとって由々しき事態である!!と言わずには居れない!!

南樺太に(勝手に主権を主張し不法占領しているロシア)が(奉献したとはえい元々の主権国である日本の首相を呼び出す)構図は、お互いの主権の主張を確認する上での演出!
日本に主権は無くロシアに主権があると広く内外にアピールした結果だと
ロシアのマスメディアは大々的に宣伝し
我が国の政治家やマスメディアは何ら意思表示や国益の損失とは報じないのははなはだ問題である。

国境の取り決め

日魯通好条約
 1855年(安政元年)、伊豆下田において「日魯通好条約」が締結された。
この条約で初めて日ロ両国の国境は、択捉島と得撫島の間に決められ、択捉島から南は日本の領土とし、得撫島から北の千島列島(クリル諸島)はロシア領として確認された。
 また、樺太は今までどおり国境を決めず、両国民の混住の地と定められた。

樺太千島交換条約
 1875年(明治8年)、明治政府は、樺太千島交換条約を結び、樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島を譲り受けた。
この条約では、日本に譲渡される千島列島の島名を一つ一つ挙げていますが、列挙されている島は得撫島以北の18の島であって、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島は当然含まれていない。

ポーツマス条約
 1905年(明治38年)、日露戦争の結果、ポーツマス条約が締結され、北緯50度以南の南樺太が日本の領土となった。

サン・フランシスコ平和条約
 1951年(昭和26年)、日本はサン・フランシスコ平和条約に調印した。
この結果、日本は、千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利、権原及び請求権を放棄した。
但し、千島列島の説明書きが省略されているのと、放棄した千島列島と南樺太の主権先の記述もされていない。
∴ソ連(ロシア)が千島列島と南樺太の主権を得るとは、条文のどこにも書かれていない。
また、ソ連(ロシア)は、サン・フランシスコ平和条約を拒否し調印していない。

ゆえに、ロシアの主権主張は通らない、国際法上。

北方四島の主権は我が国 日本にある。
千島列島と南樺太の主権はロシアには無い!
その前提で、麻生首相の大統領との会談の場所の設定や
会談内容をふまえると、意図的に仕組まれたものと断じざるを得ない。
どこまでお人好しの日本国政府!
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by crosby2 | 2009-02-23 00:54 | 散文
先進8カ国財務相・中央銀行総裁会議って何
そして民間銀行のFRBがこれを牛耳り、世界の覇権に利用するとは

中川前財務/金融担当大臣がこの会議の後に行われた白川日銀総裁との記者会見での失態劇で
辞任したのは記憶に新しいが、この先進8カ国財務相・中央銀行総裁会議って何?
疑問符がつかないか! 抜粋と引用を用いてちょいと説明を!

国財務相・中央銀行総裁会議の種類
1.先進7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G7)
  日本・アメリカ・イギリス・イタリア・カナダ・ドイツ・フランス
   ・ロシア参加前の先進国首脳会議参加国
2.先進8カ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G8)
  G7+ロシア  
  ・主要国首脳会議(サミット)参加国 
3.先進10カ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G10)
  G7+オランダ、ベルギー、スウェーデン、スイスの11カ国
  ・1962年10月にIMF(国際通貨基金)のGAB(一般借入取極)への参
   加に同意した国のグループ、スイスは参加が遅れたため11か国で
   すが名称はG10のままです。
4.20カ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G20)
  G8参加国+アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、イン
  ド、インドネシア、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ、韓国
  トルコと、ヨーロッパ連合(EU)議長国
  それと、国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)、ヨー
  ロッパ中央銀行(ECB)の3機関の代表

先進8カ国の通過は、それぞれ海外でも両替が出来る通貨です。
ですから、世界の基本通過ですよね。
これら通貨の信用を「落とさない」ために、各国が金融政策を協議し、各国が自国の金融最策を発表する会議です。

さて、昨年のリーマンショック
一昨年のサブプライムローンに端を発した金融恐慌は留まる事を知らない勢いで
リアルタイムに我々に襲いかかってきているのだが、、、、

なんでその先進8カ国財務相・中央銀行総裁会議に民間の銀行が参加しているのかを誰も疑問を持たないのはおかしくありませんか!??
実は、恐ろしい話なのです。長くなりますが、是非ご一読くださいませ。

ドルを発行しているのは、米国の中央銀行である米国連邦準備制度理事会(FRB)です。この米国連邦準備制度理事会とは、いかなる組織なのでしょう?政治的理由によって連邦議会図書館を解雇された唯一の職員であるといわれるユースタス・マリンズの著書『民間が所有する中央銀行』(秀麗社)に詳細が描かれていますので、要約してご紹介いたします。

 連邦準備制度理事会(FEB)の理事は合衆国大統領によって任命されますが、理事会の実際の業務の管理は、理事と協議しつつ連邦諮問評議会が行います。

 連邦諮問評議会は、1914年1月7日に開かれた連邦準備制の組織委員会で選定された12の特権的都市*1の「金融地区」連邦準備銀行の役員によって選出されますが、『連邦準備法』に基づき一般には公表されていません。

 全米12の地区連邦準備銀行は「金利を設定し、公開市場操作を指揮することによって米国通貨の日々の供給と価格をコントロール」することができます。

 12ある地区連邦準備銀行の中で最大の銀行が『ニューヨーク連邦準備銀行』です。米国の金融政策である金利や通貨の数量と価値、および債権の販売は、実質的には『ニューヨーク連邦準備銀行』が決定しています。

 1914年、当初『ニューヨーク連邦準備銀行』は、20万3053株を発行し、『ナショナル・シティ・バンク』が最大の株数3万株を取得。『ファースト・ナショナル・バンク』が1万5000株を取得。(この2つの銀行は1955年に合併し、単独で連銀をコントロールすることが可能になりました)『チェース・ナショナル・バンク』が6000株、『マリーン・ナショナル・バンク・オブ・バッファロー』(後の『マリーン・ミッドランド・バンク』)が6000株、『ナショナル・バンク・オブ・コマース』(現在の『モルガン・ギャランティ・トラスト』)
が2万1000株をそれぞれ取得しています。

 さて、『ニューヨーク連邦準備銀行』の株を所有するこれらの銀行の株主は-

ロスチャイルド銀行・ロンドン
ロスチャイルド銀行・ベルリン
ラザール・フレール・パリ
イスラエル・モーゼス・シフ銀行・イタリア
ウォーバーグ銀行・アムステルダム
ウォーバーグ銀行・ハンブルク
リーマン・ブラザーズ・ニューヨーク
クーン・ローブ銀行・ニューヨーク
ゴールドマン・サックス・ニューヨーク
チェース・マンハッタン銀行・ニューヨーク
となっています。

 つまり、『ニューヨーク連邦準備銀行』は欧米の銀行が株の100%を保有していて、米国政府は1株も保有していません。上記の中でチェース・マンハッタン銀行が米国のロックフェラー系ですが、他はすべてがユダヤ系(ロスチャイルド系)と言われる金融機関です。つまり、外国の金融資本が米国の中央銀行を支配しているということになります。


http://www.parody-times.com/frb/frb.html
アメリカはもちろん、世界の政治・経済をコントロールしているのは誰か? 答えを先に言ってしまおう。それは「国際金融資本」だ。もっと、分かりやすく言えば「ロスチャイルド系・ロックフェラー系に代表される巨大財閥」だ。世界は正に、この「巨大財閥」によって支配されている。この事実を理解せずして政治・経済を語ることは不可能なのだ。

 実は近世の歴史をみても「巨大財閥」の存在がいかに大きいかが分かろうというものだ。たとえばイギリスと中国の清の間で勃発した「アヘン戦争」はロスチャイルド系銀行などがイギリス政府に資金援助をしたとされている。この戦争により巨大財閥はさらに巨大化した。これはほんの一例に過ぎない。戦争の裏には必ずと言っていいほど「巨大財閥」が見え隠れするのだ。

 さて、FRBだが、これはFederal Reserve Board、連邦準備制度理事会という。この他、Federal Reserve Banks。さらにFRS(Federal Reserve System・通称the Fed)連邦準備制度というのがある。日本ではこれらを総称して「FRB」と呼んでいる。 FRBの主な業務は★市中銀行の監督と規制 ★金融政策の実施★財務省証券(国債に相当)の売買★ドル紙幣の発行などだが、紙幣の発行権利を持っていることは、とりもなおさず金融を支配していることになり、巨大な権力なのだ。

 驚いたことにFRBは民間企業にもかかわらず財務省の上位、つまり財務省をもコントロール出来る権力を保有している。しかも、収支決算の報告義務はない、というのだから、これは“伏魔殿”そのものだ。そのFRB(連邦準備銀行)の大株主がロスチャイルド系財閥などの巨大財閥だ。

 FRBは中央銀行。このシステムを世界中に拡大し、将来は「通貨統一」→「キャッシュレス(クレジットカード)」へ移行、その結果、世界中の人々のマネーをコントロールする。アメリカのサブ・プライムローンに端を発した金融危機は巨大財閥が仕掛けたものではないか、との見立てが成り立つが実はこれはタブーなのだ。巨大財閥悪者論は世界中のメディアがほとんど取り上げない。なぜならばメディアも彼らの軍門に下っているからだ。 FRBの正体を知ることこそが最も重要、と再度、強調したい。
さて、在邦のメディアは はてさてこのタブーを暴けるのだろうか。
地雷!?

歴代の大統領は、軍門に下るか、飲み込まれるか、居なくなるか、失脚するか
はてさて、オバマさんは

24日に麻生首相はオバマさんと会談するが、72兆ドルの財政搬出に踏み切る米国は
その後ろ盾として米国債の購入を日本に迫るために麻生首相を呼びつけた訳で
その背後にはFRBが居ない訳が無い。
民間なんだから、政府紙幣と同様に大量に紙幣を量産すりゃ−いいのに
日本に頼らずにさ! 
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by crosby2 | 2009-02-22 23:49 | 散文

Islayさんのブログ紹介

http://islay.at.webry.info/

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islayさんのブログは面白いです。ためにもなるかも。
一緒にコスプレして遊ぶ仲間でもあります。
あっ!すみません!!コスプレとは、、、
コスチュームに凝って!と言う意味です。悪しからず。
決して怪しい遊びではありません。

そんなアイレイさんのブログに張り付いてました写真を持ってきちゃいました!
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by crosby2 | 2009-02-22 21:32

以前の動画の行き先

この動画サイトで 検索のところで Crosby で検索していただければ
以前の動画のすべてがみられます。



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by crosby2 | 2009-02-22 00:19 | 動画 演奏風景

お酒の話!

樽熟成の発見に関しての通説はご存知の方も多かろう。
18世紀のスコットランド。ウイスキーへの課税、免許制が強化され、高率の麦芽税がかかるようになる。イングランド側の圧政を不満とする人々はハイランドの山奥へ逃れ、密造をはじめる。

いまでは長期熟成が当たり前となっているが、それはごく最近のことだ。
ここで近代ウイスキーの基礎ができ上がる。大麦麦芽を乾燥する燃料としてピート(泥炭)を代用し、蒸溜したモルト原酒を入れて隠すのにシェリー酒の空き樽を流用した。
徴税吏の目を逃れて、シェリー樽に入れて隠したモルト原酒が豊かな芳香とコクを湛える。これが樽熟成の発見。課税が予期せぬ恩恵をもたらした。

だが当時の貴族や豪族たちはウイスキーの備蓄を樽でおこなっており、彼らは樽熟成の効果を早くから知っていたともいわれている。
またすぐに長期熟成という工程が確立したかというとそうではない。当時、ウイスキーを長く寝かせる概念はまったくなかった。蒸溜したばかりのニューポットを売り、すぐ換金する。領主への地代もウイスキーで換金率も高く、生活がかかっていたので樽で寝かせる悠長なことはしていられなかった。

酒税が樽貯蔵を確立
スコッチの樽貯蔵が法的に義務づけられたのは1915年。前年にはじまった第一次世界大戦による戦争ヒステリーが要因となっている。戦時中の禁酒法案は反発され、蒸溜酒の酒税を2倍に引き上げる案が出るが、蒸溜業界が一定期間ウイスキーを貯蔵する義務を負うという代替案を提出し、承認される。
これが2年間貯蔵。2年の根拠はとくになく、当時ブレンダーは2年熟成モルトやグレーン原酒をブレンデッドによく使っていたからだった。

翌1916年。3年以上の樽貯蔵となる。戦争が長引き、市場への流通量を減らすために、1年延長となった。
という訳で、スコッチといえども、その昔は品質にバラツキがあり、玉石混交だったということだ。
いずれにしても、酒税が樽熟成に大きな影響を与え、近代製法を確立する引き金になったという、熟成の裏話。
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by crosby2 | 2009-02-21 00:48 | Top

お酒の話!

バーボンで命拾いしたセオドア


セオドアに心酔したジャック・ダニエル氏
さてオバマ大統領就任記念の酒の肴ばなし2回目。第26代のセオドア・ルーズベルト大統領のエピソードからはじめよう。
セオドアは1933年に禁酒法を撤廃した32代のフランクリン・ルーズベルトのオジさんにあたる。彼の経歴は警視総監、海軍次官補、キューバ出征、ニューヨーク州知事、副大統領、大統領と華々しい。
加えて自動車に乗った初の大統領、飛行機に乗った初の大統領、海軍の潜水艦ブランジャー号に大統領として初めて同乗し自ら操舵したなどエピソードも華々しい大統領だ。何かに乗ることが好きだったのかもしれないが、その経歴の中に2年間ほどカウボーイをしていた時期がある。
カウボーイの時、ケンタッキーに狩猟に出かけたその帰り、セオドアはインディアンの襲撃を受けた。恐怖のあまり必死に逃げようとするのだが、馬の足はいっこうに伸びない。それもそのはず、馬の背には彼だけではなくバーボン樽が2樽も結び付けてあった。
セオドアは仕方なく、バーボン樽をくくり付けていた縄を切る。すると馬の逃げ足が伸びるとともにインディアンの追跡も止まった。しばらくして振り返るとインディアンはバーボン樽に群がり歓声を上げていた。

セオドアに心酔したジャック

1907年10月のある温かい日。セオドア・ルーズベルトの演説を聞いて魅了されてしまった男がいる。ジャック・ダニエル。
翌年は大統領選挙の年だった。セオドアに心酔したジャック・ダニエルは、大統領選で再びセオドアが勝利した時には就任式に記念ボトルを贈ると周囲に語った。ところが1908年の選挙にセオドアは出馬せず、この記念ボトルの構想は流れてしまった。
セオドアが大統領に就任したのは1901年。実はその80年後、後継者が創業者の思いを遂げ、就任80周年記念「ジャック・ダニエル ルーズベルト・デキャンター」を発売している。1987年だったか、86年だったかもしれない。日本でも限定でルーズベルト・デキャンターを売り出した。わたしはそのコピーを書いたのだが、いま思えばあのデキャンターを取っておけばよかったと後悔している。1.5リットル入りの豪華なボトルだった。
20年以上も前のこと。いま古くからやっているバーに行くと飾っていないかと店内を見回すことがある。読者の方でもし見つけられたら教えていただきたい。

トルーマンのマティーニ


トルーマンが飲んだ。カクテルの王、マティーニ。女王はマンハッタン。
フランクリン・ルーズベルトの急死後、33代大統領となったのがハリー・トルーマン。就任からまもないトルーマンが出席した、ポツダム宣言の3国首脳会談時のディナーの酒とはどんなものだったか。
ベルリンに集まったトルーマン、チャーチル、スターリンは目の前のヨーロッパ問題でアタマは一杯。しかもチャーチルはまもなくイギリス首相の座を去ることが決っており、スターリンは心臓発作のため1日遅れで到着といった具合でどこかまとまりに欠けていた。
ディナーでは3人それぞれにまったく違う酒を飲んだ。トルーマンはいかにもアメリカ人らしいマティーニ、チャーチルはもちろんスコッチウイスキー、スターリンはもちろんウオツカだった。
そしてディナー時の音楽が面白い。その夜の当番国が勝手にやった。ロシアがホスト国の夜、スターリンはモスクワの超一流音楽家たちを呼んで優雅に演奏させた。するとトルーマンは負けてはいられない。ユージン・リストを軍服のまま呼び寄せ、ショパンのワルツを弾かせた。トルーマンの好みだったのだが、戦火を浴びたドイツではすぐには楽譜が見つからない。パリから楽譜を空輸させ、リストが暗譜する暇もないので楽譜を見ながらの演奏になった。その楽譜めくりをマティーニ片手のトルーマン自らがおこなったという。
さて無粋だったのはチャーチル。イギリスがホスト国の時には、なんと空軍の軍楽隊を呼び寄せ、ゆったりとしたディナーの席に威勢のいい轟音を響かせたらしい。その時のスコッチは旨かったのだろうか。

ケネディ家のはじまりは樽職人

さて皆さんよくご存知の35代ジョン・F・ケネディ大統領。JFK自身というよりもアメリカでのケネディ家のはじまりは酒との関わりが深い。
19世紀半ばにアイルランドからボストンへ移民としてやってきたケネディ家は、ウイスキーの樽つくりを生業とした。そして2代目のパット・J・ケネディが酒場を経営する。これが貧しい移民から脱却するきっかけとなる。
パットは体格がよくて荒くれ者のあしらいは苦もなく、マスター兼バーテンダーとしての腕もよく、なによりも聞き上手だった。店は評判を呼び、繁盛し、お金も生まれ、信用も得る。酒場を2軒増やし、石炭業を営み、これらで得た資金でコロンビア信託銀行を創立。そして州上院議員に当選する。それからはケネディ王国へ向けて突っ走ることになる。
移民の貧困生活からホワイトハウスに登りつめたケネディ家の歩みはアメリカン・ドリームそのもの。そのアメリカでの第一歩はウイスキー樽職人であった。

さて2009年に就任したオバマ大統領。彼もアメリカン・ドリームの体現者のひとり。もうすぐ熱狂が冷め、厳しい現実と戦う時が来る。酒はあまり口にしないそうだが、そしたらウイスキーをね、飲まなきゃ。

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by crosby2 | 2009-02-21 00:32 | Top

お酒の話!

蒸溜所を建設したワシントン

昔からバーでは政治とスポーツ(とくにプロ野球)の話はするな、と言われている。激して口論になりやすいからだろう。でも大統領の酒ならば、生臭い政治の話にはならない。
先日、オバマ・アメリカ合衆国新大統領の就任式があったが、歴代大統領の中にはウイスキーとの縁が深い人が多い。

まず初代大統領ジョージ・ワシントン。建国後の1791年に独立戦争の出費補填のため初めて酒税を課す。スコットランドやアイルランドから移住し、独立戦争に身を捧げた開拓農民でウイスキーをつくっていた人々は激怒して、1794年、ペンシルベニアで反乱が起きる。
これを「ウイスキー戦争」とか「ウイスキー反乱」というのだが、ワシントンは兵を出動させて鎮圧した。その3年後、彼は大統領を辞し、バージニア州マウントバーノンの自宅農場で暮すようになる。そこでなんと彼は蒸溜所を建設したのだ。
発掘調査によって5基の単式蒸溜器を備えた本格的なもので、ライウイスキーを生産していたことがわかっている。ただワシントンが蒸溜を見たのはわずか2年。67歳で逝去。

バーボンを愛したリンカーンの父

さて次は16代大統領のリンカーン。アメリカ人の誇りとされる大統領だが、ケンタッキー出身のこの人はバーボン普及の功労者ともいえる。
まずは彼の父親が凄まじいばかりのバーボン党で、バーボンに金を費やすために農場を売り払ったほどだ。また家族旅行に出かけたとき、筏(いかだ)に乗った。不運にもその筏が転覆してしまう。父親は家族を助けるより先に、持参していたバーボン樽を救ったという逸話がある。
息子が大統領になるだけあって、なかなか豪快な人だったようだが、息子は南北戦争時に父親の愛したそのバーボンをアメリカ各地へ普及させることになる。

バーボンをメジャーにした南北戦争

アーリータイムズのラベル。上部に1860とある。
リンカーンが大統領に就任したのは1860年。同じ年にバーボンウイスキーのアーリータイムズが誕生している。
その翌61年から南北戦争がはじまる。リンカーンは北軍の兵站地を自分の出身地であるケンタッキー州においた。ケンタッキーといえばバーボンである。ちなみに兵站(へいたん)地とは作戦遂行上、後方にあって、軍需品の補給・修理、連絡網の確保などをおこなう機関が置かれるところ。
これがバーボンにとっては追い風となった。兵站地となったことでバーボンが各地の戦場へ送られ、その存在を広く知られることになったのだ。この頃はライ麦からつくるライウイスキーが主流で、バーボンはその次に位置していた。余談だが、現在アメリカンウイスキーといえばバーボンと皆答える。でもバーボンがアメリカンウイスキーのシェアで50%を超えたのは南北戦争から100年後の1963年のことになる。
さて、4年つづいた南北戦争の後、需要が増したウイスキーは禁酒運動の集中砲火を浴びることになった。アメリカの禁酒運動の歴史は非常に長いものがある。そして強力だ。1826年にボストンに節酒推進協会が発足。ピューリタンの厳格なまでの伝統から起こったもので、1851年にはメイン州が禁酒州となり、56年には全国禁酒同盟が結成されている。
こうした動きが20世紀初めの禁酒法成立へとつながっていく。1920年からつづいた禁酒法を撤廃したのは、フランクリン・ルーズベルトだった。1933年、32代大統領に就任後すぐのことだった。


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by crosby2 | 2009-02-21 00:27 | Top

草食系男子とは!

草食系男子という言葉や存在を知っているだろうか!
草食系男子(そうしょくけいだんし)とは、2006年10月に深澤真紀のウェブ連載「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で、「草食男子」として命名され、2008年ごろよりメディアで取り上げられるようになった20代男性の傾向である。2008年4月5日『NONNO』が深澤へ取材し「草食男子」特集を掲載して話題になり、2008年7月に森岡正博『草食系男子の恋愛学』が刊行され注目を集め、2008年11月に牛窪恵『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』が刊行された。
草食男子とも呼ばれる。
一般的には、協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛に積極的でないタイプの男性。

草食系男子の定義は、論者によって異なる。深澤は「恋愛やセックスに「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」」らしい

概要
草食系男子の主な特長とされるものは以下の通り。
外出より部屋にいる方が好き
繊細である
性風俗を無駄なことと思い、お金を使わない
女性に誘われれば旅行やショッピングに同行するが、恋愛に発展しないことが多い
恋愛に積極的でない
オタクやトランスジェンダーとは意味合いが若干異なる。

社会状況としては
草食系男子が増えたため、合コンなどで男性会員の集まりが悪く、男女比が圧倒的に女性多数になってしまい、成立しにくいとも言われているし
恋愛が若者消費の原動力ではなくなったらしい。

何とも、情けない気がするが、30台未婚女子には魅力的に映るらしい。
結婚したら楽なんだそうだ!!いやはや
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by crosby2 | 2009-02-17 20:16 | Top

告知!

クロスビーのミュージシャンがBLOGを開設致しました。

http://groovinj.exblog.jp/

右下のエキサイトブログの所から Groovin Jazz を選択しておすすみくださいませ!!
何卒よろしくご愛顧の程をお願い申し上げます。
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by crosby2 | 2009-02-17 00:10 | Top

今夜はお酒の話

現総理のおじいさまといえば吉田茂元首相
吉田茂元首相が愛したお酒といえば
オールドパー
先日、四国の高知にある「城西館」という老舗旅館を訪れた。故・吉田茂元首相が飲み残した一本のオールドパーが大切に保存されていると、聞いたからである。
 吉田茂は東京・神田の生まれだが、実父は竹内綱といい土佐藩の出身。明治以降は同郷の板垣退助らとともに、自由民権運動の闘士として鳴らした人物である。吉田は生まれてすぐに、横浜で貿易商を営んでいた吉田健三のもとに養子として引き取られ、吉田姓を継いだ。ちなみに吉田健三は幕末にイギリス留学を果し、帰国後は横浜の山手一番にあったジャーディン・マセソン商会の支配人を務めた人物。その後独立し、吉田茂を養子として引き取るころには、莫大な富を築いていた。

『オールド・パー』が、歴代首相に愛された理由とは…
優雅で深みのある、重厚な味わいの銘酒"オールド・パー"。
明治の初め頃、日本に最初に入ったウィスキーで、吉田茂、田中角栄など歴代首相に愛飲された事でも有名です。

では何故"オールドパー"が、歴代首相に愛されてきたのでしょーか…


自民党総裁選挙…、次期首相を決定する総裁選が始まると候補者たちは、各派閥の長と"話し合い"で、票を固めていくそうです…

そして、"二つの派閥"の票を得ることを”ニッカ”(二つの派)。

"三つの派閥"の票を得ると”サントリー”。

全ての派閥の票を固め、総裁=次期首相の座を確実にすることを、
"全ての派"で、”オールド・パー”と言ったそうです。

自民党総裁選が始まると、夜な夜な高級料亭では…
 "ニッカ鶴" ⇒ "サントリー響" と、飲み進め、
次期首相の地位を確実とした夜には、選ばれし者のみが許された"美酒"、
『オールド・パー』に酔いしれる事が出来たのかも知れません…
フィクションです!!
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当の麻生さんはこう言う
 私自身はどちらかといえば醸造酒の方が好きで、最近ではウイスキーなどの蒸留酒を飲むと翌日てきめんに頭が痛くなる。そういったわけでウイスキーは苦手だから、城西館の祖父の飲み残しのオールドパーを飲んでみたいとは思わない。が、このウイスキーは、格別の味がするかもしれないと思う。

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by crosby2 | 2009-02-16 22:35 | Top