人気ブログランキング | 話題のタグを見る

仙台の人と街を応援する企業家組合


by crosby2
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

太宰治 富嶽百景を

故有って、太宰治の富嶽百景を読んだ。
太宰を読むのは多分何十年ぶりでか。放蕩と自虐を繰り返す太宰は自分に当てはめてしまう帰来が有り遠ざけていた。
彼の仙台の球団の名称のキャッチフフレーズ 月見草 云々の由来の『富士には月見草がよく似合う』とうい言葉が出てくる一文である。昭和の13〜14年頃の作らしい。

この一文は太宰の当時の深層心理を強く表わしている一文である、と私は感じます。
それは「矜持」きょうじ と「鬱屈」うっくつ という言葉で言い表すのが良いかどうかは分からぬが、そう感じるのだ。「矜持」とは自分の能力を信じて持つ誇りのことであり、「鬱屈」とは気のふさぐことです。
彼の生涯は、この繰り返しだったのではなかろうか。
翻弄し翻弄され 自我を失い 自虐し 友や親族に助けられてはまた道ずれにするその行動は、男として 人として 家族として 親族として 立場が違えば評価もまちまちだろ。

太宰は、富士山麓の自然と人々との付き合い 出会いの中で、自分自身と対話し、生きる自信を回復して行ったのか。純粋に生きることを考え、貫き通そうとし、結局情死した太宰にとって「富嶽百景の地」は、理想に近い一番の場所だったのかもしない。
大きな富士に対した月見草
理念や倫理が富士ならば それらに対峙する太宰自身は月見草
万人が認める富士が権威や権力の象徴ならその片隅で咲く花月見草は太宰自身の分身であろう。
彼はこうも想うのです。
「私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体もよごれて、心も貧しい。けれども、苦悩だけは、先生と呼ばれていいくらい経てきた。たったそれだけ。藁一すじの自負である。けれど、私は、この自負だけは、はっきり持っていたいと思っている。わがままな駄々っ子のように言われてきた私の、裏の苦悩を、一体幾人知っているだろう」。と。

新しいものにチャレンジする時、自分を見失いそうになった時、太宰の言う「藁一筋の自負」を大切にしようとも感じます。

藁一筋の自負
新たなるステージに昇る多くの方へ
この言葉を贈りたい。
努力した事 続けた事 やり抜いた事 苦労した事 そこから生まれるそんな自負が有れば
藁一筋の自負が有れば やりきれます。そして何度でも トライアンドエラーが出来るのですから。
by crosby2 | 2010-03-31 22:19 | 散文