仙台の人と街を応援する企業家組合


by crosby2
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ホテル仙台プラザが閉店とは

シティホテルでの遊興と夢からの覚醒
シティーホテルと言う言葉が発するものは、私どもが若い頃本当に憧れた雰囲気を持つ言葉であり、そしてその韻が放つ華やかな響きは、華やかな社交の表舞台。と見え聞こえたものだ。数々のパーティー、シンポジウムに各種大会、学会に新年祝賀会等のお祝い事、披露宴にお悔やみの会等、我々が居る雑多な生活感溢れる喧噪の中から、そんな場に集いし華やかなる人々を目にする時、シティーホテルに集いし面々を見るに付けてただただ本当に憧れたものだ。
仙台ホテルの五階、フォンテーヌブローの円形のカウンターはさり気なく男の見栄の張り方、カクテルやワイン、スコッチ等を駆使しての最新の手練手管を教わる学び舎だった。その奥のフレンチは伝統と格式のある正統派のホテルフレンチで、見合いや結納、様々な祝い等の席の舞台ともなった。無論仙台を代表するミュージシャンがトリオで演奏していて、シティーホテルとは本当に贅沢な場所だと思い知らされた。東急ホテルのフレンチレストラン青葉は初めて女性を招待しのそ方の誕生日を祝った席で、そこで出会ったソムリエの方とは今でも親交がある。地下のバーは小川ロンさんをはじめ多くの音楽家が演奏した正統派のバーでバーテンダーも一流だったし、お相撲さんや多くの有名人やスポーツ選手と酌み交わしたお酒は忘れられない。ワシントンホテルの最上階は週末のカップルや家族連れで大賑わいでオープンキッチンで供されるステーキは安くておいしくて若い二人連れや家族達には大いに支持されたし、バンドの方々の演奏も格好良かった。ここの会員制のクラブやバーでも仙台の先端を引っ張っていた。そんな東急やワシントン、仙台ホテル等のシティーホテルの数々はもう仙台には無い。

そのホテルに入るとドアーマンがそっと近寄り車寄せに誘導してくれる。ドアを入れば大理石の敷石や壁が高級感で更に私達を誘う。ロビーにはロングドレスを着たピアニストが静香なる調べを奏でて優雅に微笑み、香ばしいホテルのコーヒーの香りと、スタッフは教育が行き届き痒い所に手が届く。一段下がってのカジュアルレストランにはランチをしに、打合せをしに良く行ったものだし、手前の中華へ行けば上品且つ先端の中華が食べられて大いに満足したし彼の大監督やご家族に良く逢ったりした。和食のシェフは大きな料亭出身の大変腕の立つ職人さんで繊細且つ新鮮で上品なお料理で多くの常連さんに支持された。最上階のレストランは夜景を見乍ら食事が出来る所で30年前は憧れの的であった。ここのお料理には本当に助けられたもので、接待すれば皆いちころだった。昔はバイオリンやピアノが聞けたし、最近はボールルームと鉄板焼きと姿を変えたが、ここの優雅で落ち着いたホテルらしいホテルのサービスを享受出来る幸せは筆舌に尽くし難い程の至福の時であった。そして一階の会員制のバーオークルームには多くの思い出がある。その昔は三浦誠史さんと言う特攻上がりと言う本人の弁)の支配人さんが居たり村上さんが居て、幸さんがいて加藤さんが居て照井さんが居て角田さんが居て大井さんが居た。良子(ながこ)さんが居てetc,,,,.。三浦さんは私を最後の弟子と言ってくれて励ましてくれた。額の絵、黒光りするカウンター、宿泊客は何なり入れたが、仙台の人は会員でなければ入れないバーとして、多くの著名人や財界、政界の方々に支持されたBARである。会員となるには社長決裁が必要で、お断りされたかく言う自称紳士の面々が大勢居た。機密が保持される、変なお客は居ない、入れない、こども(大人ではないこどな)が居ないと言う事で、料亭ではない所でも多くの秘め事が繰り広げられた公開されない言わば大人の隠れ家的存在。そんな場所への出入りが許されたのも多くの良き出会いと幸運とがそうさせたものであろう。洋箔で出来たシェーカーで夜毎に絶品のカクテルが供され、珍しい街場では手に入りにくいモルトやブランディーも一流のお客様が集まるこのホテルなら採算が取れると言う事でいち早く仕入れられ私達は此処で多くを学び勉強をしたものだ。三階の宴会場の松島、東西とロビーでは多くの夢が見られた。シティーホテルと言う切り口で遊興すると言う事に憧れた私達は、29年程前、この場所で東京からジャズマンを呼び仙台中のトップミュージシャン達と(当時はセレブとは言わず)約300人の紳士淑女が相集い、タキシードとロングドレスでのパーティーを企画し実行した事は忘れ得ない夢である。そんな遊びの舞台でもあり夢の舞台でもあり、仙台でのシティーホテルの代名詞と言われた程のホテルが姿を消すとの残念な報道がなされ、ショックでたまらない。
シティーホテルと言う舞台で夢を見ていた私達は、いきなり後ろから殴られて初めて目覚めた様に覚醒した。と言う訳か。
夢の舞台へ駆け上がれっ!と、突っ走った70年代後半から90年代。その表舞台では今迄紹介した所以外のシティーホテルでもこのような現象が多く目撃されたし、それらを強く憧れ追い求めて目標ともして来た我々にとって、シティーホテルと言う舞台の方が先に舞台から降板させられた、と言う印象である。
安ければ良いのか。外資や大手のチェーン店の豊富な資金力には到底叶わぬのか。いや、地元の企業、商店、街の専門店が無くなってしまったらもう遅いのである。だからこそ、大量仕入れや豊富な資金力をバックボーンとした所の安くて見た目の良い物に乗り移る前に、手を伸ばす前に考えよう。Buy仙台 Eat仙台。 あえて私は言おう、仙台の企業や商店で買いましょう。呑みましょう。食べましょうと。Buy仙台 Eat仙台。そうしなくては何処江行っても金太郎飴宜しく、本当にユニバーサルサービス化されてしまう。何処でも安く、何処でも同じ味、そして味気ない。
ホテルがまた一つ消えると言う事で、我々は考えを新たにしなくてはならない。と、痛切に想うのだ。 
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by crosby2 | 2011-03-09 00:14 | 散文